かなり昔の記事ですが、とても面白いです。
内容を要約すると、最近どこに行ってもテキパキして、愛想も要領も良い人に出くわす。しかし以前はそんなことはなかった。テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人が結構いた。なぜ最近そのような人を見かけないのか?彼/彼女はどこに行ったのか
確かにそれは私もよく感じることです。コンビニの店員さん、役所の窓口の人など、テキパキして、愛想も要領も良い人ばかりのような気がします。しかし私も含めて、テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人は現在も一定数存在するように思えます。そのような人はどこにいるのでしょうか?このブログの作者は、テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人は社会から排除されているのではないかと主張しています。
実のところ、小器用に振る舞える人間、融通の利く人間、汎用性の高い人間以外が、社会から排除されているのではないか?要領の悪い人間、愛想の悪い人間が働ける場所が失われてきているのではないか?
インターネットのあちこちに吹き溜まっている怨嗟の声に耳を傾け、精神科の診察室で遭遇する適応障害に該当する人々の苦境をみる限り、本当は、要領の悪い人や無愛想な人、不器用な人が消えてしまったわけじゃない事はわかっている。にも関わらず、そのような人達が気持ち良く働けるポジションが社会のなかであまり見当たらないのは、とても、怖ろしいことのような気がするのだ。
私はこの「テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人」は、「対人関係が苦手な人」とも重なるような気がします。そしてそのような人が、現在の社会では結構苦しんでいるのではないかと思います。このブログの作者も書いているように、現在の社会は以前よりもまして、(役所からコンビニまで)「テキパキして、愛想も要領も良い人」が求められ、「テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人」(対人関係が苦手な人)の居場所が失われる傾向にあるように思われるからです。
しかしこの「テキパキして、愛想も要領も良い人」ばかりの社会というのは、ブログの作者も書いているように、多様性がなく生きづらい社会ともいえるのではないでしょうか。
この先「テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人」(「対人関係が苦手な人」)はいったいどう生き延びていけばいいのか、考えていきたいですね。