ADHDという言葉がこれほどまで使われている時代は、いままでなかったかもしれません。まるで、流行語のようになっていますね。
そのせいか、最近は誰もが自分をADHDだと思うようになっているようにさえ思えます。
例えばこんなことを言う人が増えているかもしれません。
「私は深刻なADHDを抱えています。」
「時々ADHDの症状が出ます。」
「遅刻が多い・・・私はきっとADHDに違いない」
しかしもちろん、誰もがADHDであるわけではありません。統計では、大人のADHDの数(アメリカ)は全体のうちわずか4~5%です。つまり、残りの95~96%はADHDではないのです。
ADHDの症状は多くの普通の人にも当てはまる
誰かが「私はADHDに違いない」と言う時、その人の実際の症状は、たいていほんの数分や数時間程度の間だけ、忘れっぽかったり、注意が散漫になってしまうことを意味します。
多くの人が自分をADHDのように感じるのは、ADHDの症状がADHDの人ではない人にもあてはまるからです。
誰もが時々、うっかり忘れてしまったり、注意が散漫になったり、遅刻したりした経験があります。しかし、誰かが忘れっぽかったりしても、それがADHDであるということは意味しません。
同じように、誰かが1時間程度悲しい気持ちになったとしても、それはその人がうつ病であることを意味しません。
ADHDを判断するには、その人にADHDの症状がどのくらい多くあるのかという「重症度」と、7歳以前にどのくらい長くADHDの症状を経験してきたのかが重要です。
ADHDに自覚的になる人が増えるのは良いこと
ただし、ADHDに自覚的になる人が増えるのは良いことです。
それはこれまで以上に多くのADHDの人がテストを受け必要な助けを得られる機会が増えるということを意味するからです。しかしその一方で、些細なことでも自分はADHDだと思ってしまう人が増えてしまうのです。
誰かが自分の行為を「ADHDの症状だ」と説明する時、たいていは笑われるでしょう。しかし、ADHDの人にとってそれは冗談にはなりません。毎日の生活はストレスだらけで、他の人と気軽にコミュニケーションを行うのが本当に大変なのです。
ADHDの人は「自分はADHD」だとはあまり言わない。
本当のADHDの人は「自分はADHD」だとはあまり言いません。
人を失望させたり、時間に遅れたり、重要なことを忘れたりすることを恥ずかしく思い、黙っていることがほとんどです。
また、誰に対して自分がADHDであることを告白するべきかをとても注意深く考えます。会話で気軽にこぼしたりはしないのです。
また、「正式」にADHDと診断されたらそれを自分の「言い訳(excuse)」として使えると考え、ADHDと診断されたいと思う人もいます。
ADHDという言葉が流行している今こそ、その言葉の使い方やその意味には慎重になったほうがいいのかもしれません。
参考記事:Does Everyone Have ADHD These Days?